2005年01月06日 裸足の子供達
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小さい頃、正月は大人に会えばとりあえず「お年玉ちょーだい」と言ってみて、親に「そんなにお年玉ほしがっていると今に痛い目に遭うぞ」と怒られていたものですが、あの時の親の言葉の意味が現実の問題として理解できるようになって久しいtibです。(懐に)痛い目に遭いながらも何もせずにただあげるのはなんだかシャクなので、今年は「5000円入った袋、2005年ということで2005円入った袋、平成17年という事で17円入った袋」を用意して選ばせるようにしました。もちろん選ぶまで袋には触らせません。袋を選ぶときの子供達の真剣な眼差しと、選んだ袋を開けずに上から触って小銭が入っていない事を確認している様は、見ていて結構楽しめました。
先日、友人が2度目のインド旅行(ん? 仕事だったかな?)から帰ってきました。結局去年は海外旅行には1度も行けずじまいというフラストレーションが溜まっているのと、私がまだ行った事のない国に行かれたという羨ましさで一杯な私に対して友人は土産話で追い打ちをかけてきます。
「前回もそうだったけど、インドに行ってまず大変なのは街に物乞いがとても多いことなんだよ。それも圧倒的に子供が多いの、日本で言えば小学生とか幼稚園くらいの。ボロボロの服をきているくらいじゃさすがにこっちも驚かないけど、中には片足義足だったり、両足が頭の後ろに回っていて手だけで動いている、障害なのかヨガなのかちょっと見ただけじゃ解らないような子もいれば、毛布にくるまって倒れていて動かなくて寝ているのか死んでいるのか解らないような子もいたりして。裸足で駆け寄ってくる子供達に対して前回は飛んでくる虫を払うように追い返したり無視したり...だったけどそれじゃあまりに...なんで、今回はある程度小銭やらお菓子やら用意して行ったんだ。でもどの街に行っても子供達の数がハンパじゃないからいくら用意したところで寄ってきた子供達全員になんてあげられないわけ。...そこでどうするか。行き着いた答えは『物をあげたくなるような子供かどうか、見た目で選ぶ』だったんだね。」
...これ、どう思います? 群がってくる子供達に対して「あんたにはこれあげる、あんたはダメ」ってやってるわけですよ。いくらあげられる物の数には限りがあるとはいっても。友人は更に続けます。
「あの子供達は、暇を持て余してちょっと遊ぶ金欲しさにたかってきているんじゃない。あれが生活の糧なんだ。もしかしたら...いや多分、あの子達の陰には親兄弟がいて、あの子達の稼ぎを待っている。小学生くらいの子供達が一家の大黒柱として物乞いで生計を立てているんだよ。『職業:物乞い』なワケ。...そう、あれは職業だって考えたら『恵まれない可哀想な子供達』って思えなくなったのね、『一社会人』として扱うべきなんじゃないか、と。」
物乞いで生計...は理解できるとして、それが職業? 社会人? 人からお金をもらうだけで何もしてないじゃん。
「それが向こうではそういう考え方はしなくてさ、お金や物を恵むってことは、いわゆる『善行』なワケでしょ? 『あなたがいたおかげで私は恵むという善行を積むことができた』っていうのかなぁ...? 恵みたいと思わせる存在はそれだけでこっちの心を清めてくれる...って考えると何も生産していないワケじゃないっていうの、なんとなくわかる?」
んー、なんとなく何を言いたいのか解ってきたぞ。
「つまり、彼等はプロの物乞いで、同業他者との競争の中で日々、営業努力を重ねているってこと。例えば、大道芸人が人をより惹きつけるネタを日々考えるよね? で、こっちはその人の芸を見て感動すればお金を入れるし楽しめなければそのまま行っちゃうでしょ? それと同じように、彼等はどうやったら人の心を清めてお金をもらえるか、日々腕を磨いている。こっちは、より惹きつけられた子にお金を恵む。そう考えると物乞いしてきただけで無条件に恵んじゃうのは間違いなんじゃないかとさえ思えてくるわけ。」
...今一度お訊きします。これ、どう思います?