2005年01月27日 勝ち組・負け組
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先月のつぶやきで、風味堂の新曲は売るつもりがあるのか解らない、などと酷評していましたが、いざフタを開けてみると随分と売れているそうで、先見の明のなさを露呈しているtibです。どうやら私の勘は世の中に逆行しているらしいです。ということは、株や先物取引をやらせたら大当たりをひくハズなんですが、さすがに怖くて手を出せませんね。
さて、今日のミセス・ユニバースではブラジルのミセスが登場して、その中で「ブラジルで『カチグミ』という言葉は通じる」と紹介していましたね。以前ブラジルに行った時に私はこの言葉に出会いました。私は「勝ち組・負け組」という言葉は、「人生の目標を達成した人・できなかった人」という意味合いでつい最近使われるようになった言葉だと思っていたのですが、ブラジルで使われている「カチグミ・マケグミ」は全然違いました。
私が出会ったのは、「Coracoes Sujos」というブラジルの歴史の本でした。
明治41年から始まったブラジルへの日本人入植は、やがて第2次世界大戦という荒波に翻弄される事になります。遠い南米の地で戦火を免れたのは良かったものの、現在のように情報が一瞬で世界中を駆け抜けるようなものではありません。何日も掛けて大本営発表を新聞やラジオでわずかに知る事ができる程度です。そんな時代ですから、玉音放送なんて在ブラジル日本人達には届きませんでした。遅れてやってくるウソだらけの大本営発表を頑なに信じる人、風の噂で日本の敗戦を聞いた人。情報の正しさを確認できない土地でいろんな情報に翻弄された結果、日本人コミュニティは日本の勝ちを信じて疑わない「勝ち組」と敗戦したんじゃないかと疑う「負け組」に2分されました。
「日本の勝ちを疑うとは貴様それでも日本人か」
「冷静に考えたら納得できない所があるじゃないか」
...とまぁ、街を2分どころか、時には家族でさえも勝ち組・負け組に分断され、お互いがお互いの家や店や人を襲撃して、死者も出るほどの騒動にまでなりました。
サンパウロの一角に「日本人移民資料館」があります。ここには遠い異郷の地で望郷の念に駆られながら頑張る人達の姿も、ブラジル社会に適合していく過程も、血塗られた哀しい過去もありました。偶然ながら当時の生き証人にも会え、短い時間でしたが当時のお話を聞く事もできました。想像を絶する話をいろいろ訊かせて頂きましたが、一番印象的だったのは「日本人で当時の日本人コミュニティの事を詳しく聞きたいと言ってきたのはあんたが初めてだ」と言われた事でした。