2004年01月17日 クイズ番組に物申す
Trackback URL : [ http://ms.flowercircle.org/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/43 ] [コメント (0)] [トラックバック (0)]
学生時代の後輩に乳癌疑惑が持ち上がりました。「こういうご時世だから」という理由もあってか、何日もかけて慎重に検査が繰り返されて、昨日「異常なし」との診断が下されてとりあえずはホッとしているtibです。いやぁ、何度検査しても「要再検査」としか答えが返ってこない時の緊張感といったらもう...。本人はその緊張から解き放たれた反動で妙にハイテンションになっています。
メイン掲示板でクイズ番組の話でちょっと盛り上がっていたので、私もちょっとかきこみました。それが、思わせぶりな締め方をしていたために続編のリクエストが寄せられました。まぁせっかくのリクエストなので思う所を書いてみます。
私はクイズ番組が好きで、特に小さい頃はよく見ていました。クイズ番組に出場した事もありましたし、今も「TimeOver」は毎週参加しています。ところが最近はこういう視聴者参加型クイズ番組がめっきり減りました。当初視聴者参加型としてスタートした番組もいつの間にか芸能人参加型に姿を変えてしまうケースが少なくありません。これはどういう訳でしょうか? いくつか思い当たる所があります。
- 行き過ぎた「解答者」
いわゆる「クイズ番組荒らし」と呼ばれる人達の登場は、皆クイズ番組が好きな人達ばかりであるはずなのにクイズ番組を衰退へと導いていきました。皆さん本当に博学で勝負勘も冴えていて、並の解答者が何人束になっても敵いません。ところが、ガチンコ勝負のクイズ番組でもあまりにワンサイドゲームでは見ていて興ざめしてしまいます。「あいつは先週も別の番組に出て高額商品をかっさらっていった」という妬みにも近い投書が増えて、「どうせ出場しても勝てないどころか1問も答えさせてもらえないだろう」と解答者に応募する人は減りました。 - 行き過ぎた「賞金・賞品」
つい先日のつぶやきで「賞金獲得できたと思っていたのに...」などと書いている私が言えた話ではありませんが、クイズ番組には賞金・賞品がつきものです。いやらしい言い方をすれば「視聴者を釣るエサ」です。ところが最近の視聴者は「エサの質・量」にうるさくなってきていているようで...。ネット上を徘徊していると「その番組は賞金をケチってる。こっちの番組の方が羽振りがいい」という書き込みを目にします。中には番組の公式掲示板に「最近賞品の質が落ちましたよね? 予算がないんですか?」と余計なお世話な質問をしてくる輩もいます。こういう声がネットが普及する前は電話は手紙で直接テレビ局へ行っていたかと思うと、テレビ局も可哀想に思えてきます。私が出場したときは賞金・賞品なんてどうでも良くて「予選を勝ち抜いた名誉」だけで十分だったんですけどねぇ...。 - 行き過ぎた「テレビ」
これはメイン掲示板にも書いた事ですが、クイズ番組が始まると家族がテレビの前に集まってみんなで解きあって楽しむという光景は減りました。いまや子供部屋にまでテレビが普及していて、「ママはお茶の間でドラマ、ボクは自分の部屋でテレビゲーム、妹は自分の部屋で歌番組、パパは残業」というケースが増えました。一人でボンヤリとクイズ番組を眺めていたっておもしろくありませんから、必然的に知識欲をかき立てるようなガチンコ勝負よりも、形式こそクイズでも芸能人を使って台本のあるバラエティにシフトしていきます。
「クイズ番組・冬の時代」という人もいます。ただその中にあって健闘している視聴者参加型クイズ番組も確かにあります。ママダスとTimeOverです。
ママダスは、番組の性格上参加資格を主婦に限定しているため、クイズ番組荒らしの人達の攻撃を抑えました。生活に密着したテーマを取り上げる事で視聴者の知識欲をつなぎ止めました。毎日の番組にしては賞品は高い(ダイヤモンドだけで月600万円ですよね?)と思いますが、1回辺りで考えてると巨額とは言えない範囲に収まっています。
TimeOverも上に挙げた問題への対策はいくつも考えられています。その甲斐あってか、去年「BSデジタル大賞・審査員奨励番組賞」を受賞しました(斎藤アナのページにも書いてありますね)。その受賞式の場で斎藤アナが言った言葉が印象的でした。「デジタルだからこそ逆にアナログっぽさにこだわって番組を作っていった。お茶の間のテレビの前にもう一度みんなで集まって家族で楽しんでもらいたかった」。
ついつい誰かのファンになっちゃって、その人の勝ち負けについこっちも一喜一憂しちゃったりして...。