2004年06月03日 長崎の事件に思う事
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ここ数日、公式サイトで斎藤アナが連日更新しているので勝手に対抗意識を燃やしているtibです。斎藤アナよりは頻繁に書こう、と一人決めていたのですが久保田アナのページもできたので、久保田アナにも負けないように頑張らないと...って、更新ペースにばかり気を取られて内容のない文章になってしまってはいけないんですが。
先日長崎県で起きた痛ましい事件に関して、マスコミからネット上の掲示板に至るまで「真犯人捜し」に走っています。学校の指導がいけないのか、家庭の躾がいけないのか、インターネットを小学生に使わせるべきではないのか、学校にカッターナイフを持ち込ませないよう手荷物検査を徹底させればいいのか、殺人シーンのあるドラマや映画や漫画は一切禁止にすればこのような事態は防げたのか、「刑法が定める責任年齢」を引き下げれば効果はあるのか...。
特に事件の翌日から大々的に報道されていた「ネット上の書き込み(掲示板ではなくチャットらしいですが)で嫌な事を書かれたのが殺意につながった」という記事を受けて「小学生だけでwebサイトを運営させるのは危険だ」とか「掲示板やチャットなど、文字中心のコミュニケーションは小学生には無理だ」といった意見が多く見られます。今日になって、「犯行前夜に放送されていたドラマで犯行を決意した」などという報道もあったりして、今後この手のドラマが放送自粛に追い込まれそうな勢いです。
例え小学生であっても何日も前から殺意を抱き続け、それを実行に移してしまったら「本人が悪い」のです。インターネットという仕組みがなかったら起こりえなかった事件ではありません。殺人事件を扱うドラマがなかったら起こりえなかった事件ではありません。「それを実行したらどうなるか」について少しでも考える力を持っていたら防げた事件です。「子供の成長に少しでも悪影響を及ぼしそうなものは徹底的に排除すべき」という極論で動くべきではないと私は考えています。
以前私は「言葉が原因で起きたトラブルは言葉で解決できるはずだ」という事を書きました。これを知らないで(または信じないで)いきなり暴走するようでは、自分の感情をコントロールできないくらいまでに自分を見失ってしまうようではいけないのです。小学生からインターネットを遠ざけるのではなく、インターネットを介した文字中心のコミュニケーションをどんどん行って、小さなイザコザをたくさん経験して、それらを乗り越えて慣れていくという事が大事なんだと思います。