2003年12月08日 性善説に依存した世界
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先日の私のつぶやきに対してせっかくメイン掲示板に反応してくださった書き込みに、その文章の内容を窘めてしまいました。その方に悪気があったとか、誰かを煽動しようという意図があったとかは全然思っていないのですが、ともすると、せっかくの反論が逆効果になってしまうかも知れないと感じたので敢えて苦言を呈させて頂きました。
ネットの世界は、(特に個人同士のコミュニケーションの場としては)まだまだ性善説を前提とした世界です。「プライバシーの保護」を逆手に取って匿名性の上にあぐらをかいた人達の攻撃に対してあまりに脆い一面を持っています。PCの先には生身の人間がいるわけですから、心ない誰かの言葉に傷つき(または心ある人なんだけど言葉が拙かったりして行き違いに発展して)、立ち直れないくらいに打ちのめされることもあるかもしれません。
「君子危うきに近寄らず」は心得ていても「降りかかる火の粉ははらう」と考えている人はいませんか? 先に書いたような攻撃をしてくる人というのは、単なる愉快犯か、こちらがしでかした何かに対して正義の鉄槌(その人に正義があるかどうかは別問題)を振り下ろしたがる人か、です。前者なら反論するだけ相手を喜ばせてしまいますし、後者だと生半可な反論では太刀打ちできません。ヘタに反抗しようものなら相手は正当防衛といわんばかりに全力で攻撃してきます(なんだかどこぞの大統領のことみたいだ)。
そこで、「降りかかる火の粉ははらわずによけましょう」。反撃を試みない事です。とりあえず無視を決め込むのが得策です。正確には「相手に対して反論しない」です。よける為には火の粉がどう降りかかってくるかをよく見る必要があります。攻撃してきた相手の文章はよく読んでみてください。一見不条理に見えるかも知れない文章でも、なぜそういう文を書いてきたんだろう? と、攻撃してきた人に少しでも思いを馳せてみてください。そのうち愉快犯か議論好きかの見極めができるようになってきます。もし、相手が議論を求めてきているのだとわかったら、いろいろネタ振りしてみるのもいいでしょう。
参考サイト:掲示板荒らし対策の部屋